top of page

 

【展覧会ステイトメント】

 

塊人の庭 (2023)

大陸に埋没した人類の残骸は土に還り、やがて巣穴となった空洞に土が溜まると、紛れこんだ種の類いのものが目を出し、鼻を咲かせた。各地に散在していた種類の異なる手足をチグハグに組み合わせてできた胴体が、頭部を探し歩いている。運よく頭部を掘り当てた胴体は、それを掲げ、笑った。

塊人、それは人類の残骸で構成された生命体。主に地中で生活し、人型にして無能である

 

 

新塊陸 (2021)

昨年のコロナ渦から生体に与える環境の作用と進化との関係について考えるようになりました。これまでも幾度の地殻変動に生体は変化を強いられてきましたが、その度に淘汰されたものと進化し生き残ってきたものとが存在し、双方共に生体が今の姿である訳を孕んだ重要な手がかりであるわけです。環境と生体との相互作用のうねりの中で自然と人の親密度は薄れ、人類をとりまく自然環境との共存意識やそれを尊いとするかつての自然観は変化しつつあります。それでも人は本能的に自然に癒しを求め、自分が人間という生体としてどこに、どのように存在しているかを絶えず気づかせてくれるように感じます。

その感覚が私の中から消えてしまうのは、とても怖いことだと思うのです。

 

以前の展覧会で発表した「地中宇宙塊」では地球と宇宙のこれまでとこれからを。

その続編にあたる今回の「新塊陸」では大陸の誕生と生体の進化を表現しました。

「地中宇宙塊」から「新塊陸」を通して、地球上の外部と内部を往来して表出した輪郭を、深堀りし細部を凝視したり、時に俯瞰した視点から見つめたりしながら、全てが同じ世界線で繋がるストーリーを展開させていきたいと考えています。

第1部

各地に大陸が生まれ、多くの生命が誕生した。

しかし地上で創られたものは海に捨てられ、やがて何もいなくなった。

海に堆積した塊は新たな陸となり、かつての地形は海に沈んでいった。

 

第2部

新たに生まれた新塊陸。旧大陸の生き残りが存在した。

脅威のない世界に戸惑い、ただ自分が果てるのを待っていた。

再び進化して生まれ変わるために必要な、負荷の連鎖を求めながら。

地中宇宙塊 (2021)

長い年月を経て尚も形を留め、環境の作用に順応しながら変化し、今もまだそこに存在しうるものを想定した造形物。それが私の作品です。そうしたものに感じる凝縮された生気は、その存在が重ねた時間の経緯を想起させるのです。

地中には地球や人類の始源があります。隕石に乗ってやってきた細微の有機物が進化を遂げて今の形になるまでの間に生じたあらゆる現象や、循環作用、変異変動の法則など、地球科学のメカニズムから着想を得て制作しています。

 

これまで粘土を鑿で彫り、侵蝕した形と堆積した彫り屑とを組み合わせた「塊」シリーズに取り組んできました。

さらにより広く俯瞰した視点で作用を加える「CARVING 大地」では、海と陸の関係とその成り立ちを表現しました。

今回の展覧会のテーマである「地中宇宙塊」とは、地中に眠る宇宙の痕跡のことです。

私の行為の作用は、表面を「彫る」ことから内部に向かって「掘る」ことに移行しました。

素手で掘り進めた孔穴に土砂を流し込んで固めた塊と掘り返した際に出た土塊とを融合させた形態を「地中塊」。

そして「宇宙」という言葉を、時間と空間を司る実体のないものとして捉えています。

 

自然(不可視なものを含めた天地万物・宇宙)という概念と対峙しながら、その美しさに憧れ、癒され、そして挑もうとしています。自然に挑む作品を制作するのは、自然界の大きな循環の中における自分の位置確認であり、自然との関係値を推し量るための手段だと思うからです。

この人類期がどのように変化し、どのように終わっていくのか。そして何が残り、次に何が生まれるのかを想像しながら作品を制作しています。

 

CARVING 大地  (2019)

陸に立って水平線を眺めていると、日が沈むにつれて遠くの山の稜線と波の起伏の境界が 消失していくように見えた。地殻の上で起こるあらゆる事象は海や山を形成し大地の体をなしているということに気づいたのである。
素足で踏み広げた粘土をCarving(=彫る)する。彫ってでた粘土片の塊は山の類だろうか。ひとつの土壌が私のCarving作用によって分離し移動した形態は大地の成り立ちを表している。

 

森で会いましょう (2019)

侵蝕されたものと堆積したものを組み合わせてできる形態を以って循環の中で生じるもの、または残ったものの形貌を私の想定と解釈を踏まえて表そうとしています。私の行為は外的営力として作用し、さらに堆積したものを運搬する作用も担っています。土塊を彫っては出た屑を積み上げるという工程は水辺のぬかるんだ泥や砂利の土壌を凝視したり夢中で穴を掘ったりした私の視覚・感触的記憶を想起させるのです。

まだそこにいたのか (2016)

ある意味も価値もない塊があるとして、それが環境との摩擦によって変容し長い時間を経て尚、形を保持していたとしたら

どんなものだろうか。それが脆く限りあるものであればあるほど私は魅了され、危ういままの形を留めようと努めるだろう。

私が作る形は、私を投影し私を受け留める為の器である。

その形が一つの実体として風景に溶け込んで同化し、自然の一部として存在できるように願っている。

                          

bottom of page